なぜ進学しないのか

なぜ進学しないのか。これを考える時期に来ている。企業に就職することで得られるものとは何なのか。もっと早くに考えるべきことだが、きっとぼくはこの問いから逃げて来たように感じる。
まず大学のよいところを考えよう。まずは自分の好きな研究が出来る、ということだろう。企業に入ったら(きっと)ビジネスとして考えざるを得ない部分が出てくるはず。いくら自分がやりたいといってもそれが会社の方向性と合致していないと出来ない*1。また、隣は何をする人ぞ、と(?)覗いてみれば自分とは似ても似つかなそうな研究をやっていたりする。こういう多様性を楽しめるのも大学のよいところだろう。
逆に悪いところとしては、自分のやりたいことを持っていればよいがそれを見失いがちになる、ということである。目的の喪失している人は大学にはいっぱいいる。また、目的はあったのかも知れないが、それが破れてしまった人がいる。こういう意味では残酷なことだろう。企業に入ればある程度は方向性を見失わないと思う。
では、今度は企業についてだが、企業のよいところは何を置いても社会との関わりを積極的に持つことができることだろう。自分の作ったものが人に使ってもらえたり、環境によいものを開発したり。これは利益を出さなければならないということであるかも知れないが、それと同時に世の中に対する影響力が大学より大きいということだと思う。企業の方が社会に貢献できる機会は多そうだ。
この大雑把な区間分けをすると、大学は自分の好きな(もしかしたら社会の役に立つ)研究ができて、企業は直接社会に影響力の持てる仕事が出来る、ということになる。かなり極論的だが、このことと自分のやりたいことを考えるとどうだろう。
ぼくが見ている対象自体は、学術的というよりは実生活に近い分野である。ただ、対象はそうでも見ようとしているものは即実用に使えるといったものではない(と思う)。仕事としてやるのであれば、やっぱり社会に貢献できることがしたいと思うし(←かなり臭う)、やりようによっては今の対象はそれが可能である。なので、会社に入って今の対象に触れられる仕事ってのが一番よいのだろう(ちょっと弱いなぁ)。

*1:昨日書かなかったが、会社としての方向性を持ってないように思える企業が少なからずあるように感じる。ここで言う方向性とは、大々的に掲げているものであってもよいが、社員の一人一人がその姿勢を持っているかどうかだ。会社の意図を(自分なりに)理解して動いているかどうかは、その組織の特性に強く影響すると思う。また、それを持たないということは仕事に対してのやりがいを半減させるのではないか。なので、ぼくが会社に求めることにはこういうことも加えたい(社風・企業理念に入るのかも知れんが)。