お掃除について

きれい汚いの感覚はその人その人で違う。ある人がまだまだきれいだと思っていても、他の人が見ればものすっごく汚いということもあるし、細かいカスが落ちているのは気にしないが、水気のものがこぼれていると無性に気になる人もいるだろう。それに、同じ人でもその時々によって感覚は違ってくる。
何人か人が集まって同じ場所を共有する時、このズレが大きくなる時がある。ある人は「こんなに汚いのに何で片付けないの?」と憤る一方で、「あの人は何で機嫌が悪いのだろう」と思っている人がいる。汚いと思っている人がそのことを伝えても理解してもらえない場合もあるし、「どうして機嫌が悪いの?」と訊ねると余計に機嫌を損ねてしまうこともあるだろう。こうなってくると、お互いにストレスをためるだけだ。
ぼくも院生室がちょこちょこ汚いなぁと思う場面があるが、その時の対応は“汚いと思ったら自分で片付ける”としている。例え、自分が汚していないとしても。
ぼくは今いる部屋の中では汚いのに敏感な方である。こういう感覚は、育ってきた環境やその人の体自体に関わることが多く、そういった状況があまりに違えば理解し合えないのだと思う。誰が悪いわけではなく、耳が聞こえない人がいる一方で絶対音感を持った人がいたり、目の見えない人がいる一方で視力が5.0の人がいたりするのと同じ。ま、こういうものより教育の余地はあるのだろうけど、そういうものだと思って、精一杯相手のことを想像する。
人の感覚というのは、こういった個人によるレベルの違いが大きいところだと思う。きれい汚いと同じように、性格についてもそう感じる。あの人の考えは受け入れられない、とか、どうしてそんな風に言えるのかがわからない、とか。やっぱり掃除の時と同じように、こういう時も自分の中で折り合いをつけていかなきゃいけないんだろうな。