さっき

さっき、と言っても昨日なのだけど、ぼくの経験則の1つである“忘れようと努力すると本当に忘れることができる”というのを、皆に披露するタイミングが来た(と思った)ので思い切って言ってみた。
しかし、あまり反応がよくない。。ぼくとしてみたら「皆もそういうことあるでしょ?」的なノリだったから、ちとがっかり。あまり共感してもらえなかったようだ。
言い方としては「忘れようと思うと本当に忘れますからねぇ」という感じだった。が、帰りの電車で自分が間違えていたことに気付いた。ぼくの経験則は確かに“忘れようと努力すると忘れられる”ことに変わりないのだが、言い方がちと違っていた。どういうことかと言うと、『思い出さないように努力すると、本当に思い出さなくなる』ということだ。
ぼくはエピソード記憶とかいうのがよいのか知らんが、小さいことを(一般的な)他人よりいつまでも覚えていると感じる。こういうと聞こえはよいかもしれないが、あったことをいつまで覚えているのはよろしわろしである。それは嫌なこともいつまでも覚えているということだからだ。
学部の1、2年ぐらいに、小さいことではあるが自分にとっては嫌な記憶を、なぜこうも思い出し、その都度自分のことが嫌になるのだろう、、と真剣に考えた時期があった。そんな時、どういう経緯で思い出しているのかを思い返してみた。
これは感覚でしかないのだけど、まだ思い出す前は思い出していないのでそのことに関しての内容はわからないのだが、嫌なことを思い出す前には、何か悪い記憶が引っ張り出されそうな感じがあることに気付いた。そして、この感じが起きたら努力してそれを消せばよいのではないか、というところに辿り着く。
記憶というのは、これも経験上だが、ある一定の強度以上で反復して思い出すことによって定着する*1。なので、思い出す度により強く記憶に残る。嫌なことも自分から思い出してより強く記憶しているわけだから、そもそも思い出さなきゃいいじゃん!という発想である。
して、これをやったみたら見事に嫌なことを思い出さなくなった。どうやら“思い出さないものは忘れられていく”ということらしい。何やら悲しい。。
そんなことを考え付いた時から、時間が過ぎて今思うのは、これを違った方向に使ってしまったら大変だということ。自分勝手に扱うようになったのなら、立派なサイコパスだろう。
また今日の反省として、自分の頭の中でのこの話の出現自体が久し振りで、まさに忘れさられようとしていたのがまずかった。きっと院生室にはぼくと同じニオイの人がいるように感じるから、ちゃんと話せば共感してくれるかと思う。。
って、そんなに他人に共感してほしいのかよ!*2

*1:よく新聞広告にある“ただ聞いているだけで英語が上達”みたいなものは、かなり幅があるように感じる。確かに“ただ聞いているだけ”で効果はあるだろうが、その“ただ聞いているだけ”にも様々なレベルがあって、本当に“ただ聞いているだけ”では意味がない。

*2:実際は「えっ?」みたいな空気になったから、相当凹んだのであった。