ハガレン

鋼の錬金術師を読んでいる。アニメはアルが賢者の石に練成されるところくらいまで隔週くらいの頻度で見ていた気がする。そのあとはほんとにたまーに。なんでこんな見方をしてたんだ?
というわけで、内容はちょびっと知っている。と、思っていたらアニメと漫画の内容ってかなり違うんだね。あと、漫画の作者の荒川弘(ひろむ)さんは女性みたいね。ついさっき知ったが、そう見るとなるほどと思う部分もある。本人も別に隠しているわけではないようだな。(ウィキペディア朝日新聞での荒川さんのインタビュー記事へのリンクが貼ってあった。)
今思うとアニメは原作とは違う方向に行ったのに、よくまとまってたなぁと(あんまり見てないくせに)。おもしろかったし(じゃあなぜきちんと見てないんだ?)。でも、底抜けに暗かった印象があった。それに比べると、漫画の方はそれほど暗さは感じない。それに、さくさくストーリーが進むのも気持がよいな。ワンピースは展開が遅いと言う人が多いけれど、これを見るとなるほどなるほど。
ウィキペディアを見ていたら、“人体練成をすると真理の扉が開くのに、タッカーが人間を使ったキメラを練成した時に真理の扉は開かないのはおかしい”というような記述があるが、タッカーのはキメラの練成じゃないの?と思ってしまった。この作品を見て思うのは、人間を他の犬や猫などの生物と比べて一段特別な存在であると見ていること。ぼく自身はこの見方はあまり好きではないが、設定なのだろうから仕方ない。で、そうなっていると思う根拠としては、賢者の石を練成するのに人間を材料に使うことや人体練成をすることで真理の扉が開くこと。真理の扉とは一層の対価(エネルギー?)を必要とする練成をしようとする時に連れて行かれるところで、何も持たずに行くと自分の体を対価にちょびっとだけ“真理”なるこの世の理のようなものを見れる。賢者の石を持っていれば体を犠牲にしなくてよい。他の動物の練成では真理の扉は開かないようだし、人間にはそれだけエネルギーがあるとしているようだ。
じゃあどうしてこうしているかを考えてみた。そこで重要なのが、人間は肉体・精神・魂の3つからなるという錬金術の考え方で、エドによれば精神は肉体と魂を繋ぐものであると。この3つの構造は他の生物にも共通しいるだろうから、魂ってのが感情やらなんやらを司るとすると、人間を特徴付けるものはやっぱり魂かと。そして、何が他の生物と違うのかというと、魂の情報量。人間は言葉・文字を操って知識というものをより多く持てるから、それが等価交換の際の重みとなるのかと。なので、人間の感情や知識やといったものをつくる練成については真理の扉が開く(よりエネルギーがいる)とか、人間を使えばより効率的に賢者の石を作れるとか言ったことになっているのではないか。タッカーの場合はつくるものが人間より情報量の少ないものに練成してるからかなーと。
あと気になるのが、やっぱりアメストリスがつくられた目的だいね。不老不死にも近い存在である“お父様”はこれ以上何が欲しいんやろ。賢者の石の練成ではないらしいしな。ぼくがちょっと考えたのは、真理の扉を創るとか自ら新しい真理になるとかかな。なんか締まらないが。あと敵国を滅ぼすとかも考えたが、これは今でも出来そうな気がするし。。まあ楽しみに待ちましょうか。
そういや、忘れていたが鋼の錬金術師を読もうと思ったのは伊集院光さんの品川さんウザウザ話からだったな。うーむ。。それにしても、ハガレンの登場人物の名前が覚えられん。。。